破露勝(はろうぃん)
6年生のとき担任だったT先生は、専門が体育で、当時30歳を少し過ぎたくらい、
市職員のテニス大会で活躍するような、バリバリの現役スポーツマンだったのだけれど
サッカーやミニバスケットなんかの授業をするのは好きで、
「表現運動」を教えるのは苦手だ、とはっきり僕らに言ってた。
しかし、教育委員会か何かの偉い人たちが見学に来て、
その人たちの前で「表現運動」の授業をして、研究発表をしなくちゃいけないことになった。
言うなれば「教師の参観日」である。一種の昇進試験だったのかもしれない。
「表現運動」というのは要するに、音楽に合わせて身体を動かしたり、踊ったりすることで、
子供達が!のびのびと!自由な!発想を!ふくらませて!物や感情を表現する!
まことに、これぞ教科書的に完璧な“子供らしさ”の極み、といった行動であるので
6年生となれば、マセガキでなくとも薄ら寒ーい感覚はあったと思う。
今思えば、その「恥ずかしい」「意味わかんない」という認識をいかにして変え、導いていくかが
実際にそこで問われている教師の力量だったのかもしれないけど、
T先生は、自分でも感じている「表現運動の授業」そのものの不毛さ、と折り合いをつけなくてはならず
自分なりのアプローチを考えた。
それは、アップテンポでダンス寄りな曲を使う、というアイデアだった。
振り付けのないダンス、というイメージは、旧時代的な「表現運動」よりも
ずっとヒップでアーバンな香りがしたものだ。
T先生は、私たち児童に曲を選ばせてくれた。
そして、本番の半月ほど前から、いわゆるリハーサルのような授業を行ってたわけなんだが
なかなかうまくはいかなかった。
小学生の体力がいくら無尽蔵と言えども、1曲まるまるテンション上げてたらけっこうしんどい。
2度目まではできるけど、3度目以降はグダグダだ。
さらに、「表現運動」というのは即興である。何度もやってるとどうしても動きが固まってきてしまう。
良かった箇所を褒められたりなんかすると、ついつい調子に乗って同じ事ばかりやってみたり
本質が理解できてるわけでもないので、意識しすぎて劣化していくのだった。
発表の当日まで新鮮さを失わぬよう、最小限の回数にとどめつつも
その練習の中で見せた、どこか光る部分を“直接口に出さず”より多く掬い上げることができるか。
しかしまた、子供の気分は予想がつかないものであり、
見知らぬ背広の大人たちの前では、突然緊張してしまうかもしれない。
そういう多くのジレンマと戦う教師の苦労は、今ちょっと想像するだけでも大変なものであっただろう。
本番は無事に終わったようだ。あまり記憶に残っていない。
そもそも、45分もある授業で、それ以外の時間に何をやったのかも謎だけれど
教師という存在もまた、試行錯誤し、日々成長していくものだというのを
我々に身をもって教えてくれた意味は大きいと思う。
で、なぜこんな話を思い出したかというと、
私がカセットテープを提供した、その時の曲を十数年ぶりに聞いたからだ。
TMネットワークの「COME ON LET'S DANCE」という曲である。
“曲名に「ダンス」って言葉が入ってるから”という理由で選んだのだった。